みるということは、五感の中でも他の感覚の助けと個人の経験などの情報がミックスされ認識されるという、幅のあるもしくは興味深い不確かさを持つユニークな感覚である。
ある環境や条件に置かれた時、みるという行為は曖昧な興味深い不確かさで、物の姿を変化させることがある。例えばある人は、雲の形にアルファベットをみたり、水の波紋に輝く銀の王冠をみたりする。この曖昧な興味ある不確かさとは、視覚によって映されるものと、心の奥底の鏡に映しだされるものが、同様ではなく何らかの変化をもたらすことである。みるという行為の本質とは、この絶妙な異差によって成り立っている。
私の目の不確かさは、不確かである理由がある。心の奥底にある確かにみえるものをフォトグラフは映し出す力をもっている。みることよりも、確かにみえるはずのない心の奥の鏡に映るものを表出させる。フォトグラフはモチーフと光によって創られるものであるが、実はモチーフに縛られることもなく、光に左右されることもなく、心の奥底にある鏡に映るものが物質となって表出される、極めて特異でシンプルな表現方法である。
幼い頃、僕はどこからやってきてどこへ行くのだろうと、いつも真剣に考えていた。
そして、それがみえないか、野山を駆け回り、花を摘み虫を追いかけ魚を掴み、それらを日が暮れるまで、いつまでもじっとみつめていた。この曖昧な不確かさは、私の根底に流れるものの本質をみつける大切な不確かさなのである。
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